nikki

90分前に、日帰り出張の夫をいってらっしゃいって見送ったところ。
フェイスブックの友達の投稿で、ウォールに知らないひとの訃報が流れてきた。たくさんの死を悼むコメント、出産を来月に控えたという奥様の書き込み、そういうの読んだらつらい気持ちになった。知らない人のことで悲しさにだけ便乗してどうするんだと思ったけど、悲しいものは悲しい。ご訃報に接し、ただ心から哀悼の意を。

そして、自分が今死んだら、ああやってタイムラインの中でお知らせされるんだろうかと思ったわけだ。順当に考えれば、夫がしてくれるだろう。出産の時だって、ついったーでいろんなひとにお祝いしてもらった*1わけで。まー、タイムライン=時間の流れ って考えれば、自分が生きてたよって跡をのこす期間があって、その中で誰かと交流していつか沈黙する、ということ自体まるで不自然なことじゃないのかもしれない。

フェイスブックの話題なんだからフェイスブックに書けよって話だけど、なんかフェイスブックって現実の人間関係持ち込んでるし、いろいろ書きづらい。誰にでも話せることばかりが心の内にあるんじゃない。アメリカの人はそういうのないのかな…いや、人種というより個人の人との距離の取り方によるか。よるよな。主語を大きくしてどうするんだか。

金曜日!今日もよい天気になりそうだー。

*1:もげずにがんばれ - Togetterと、ある夫婦のある春の日のある出来事 - Togetterでまとめていただいています。知らない人にもお祝いの言葉をもらったり、まとめが万単位のひとに閲覧されたり、すごい世の中になったもんだと思った