nikki


女子の撮る写真っぽいのを撮ろうと思ってそうした。なんていうか…不慣れな感じがよく出ていて…これはこれで、心象スケッチとしては悪くないの…で…は……(自分で自分を慰める言葉のボキャブラリーばかりが豊かになっていきます!!!)。
道外に引っ越す友人にこれまで撮った写真を渡そうと思い立ち、そういうデータをしまいこんでる箱を開けて、作業。普段は存在を忘れているものがいくつも発掘されて、そのひとつが「しゃしん 2003 summer」と書いてあるCD-RWだった。650MB。10年もの。写真だけじゃなくて日記サイトやってたときのログとかあって、白目ひんむいた。

テレアポバイト(発信)中、有線でELTの『Rescue me』がかかって。“いつか結婚して子供できたとしたら 近所のおばさんと呼ばれる日が来るの?”という歌詞が気になった。わたしは自分としてじゃなくて、●●ちゃんのおかあさん、とか△△さんの奥さん、という存在になるのかもしれなくて、誰かの意識の中でわたし自身、ただそれだけとしては居られなくなるのだろうか。なんだか嫌だ。それとも、そう思われるのが嬉しくなったりするのかな。結婚する誰かのものになることを喜べるようになるのかな。まあ今は分かりようない)

これは19歳の冬の日記。全般的に幼い。20代前半のあの生きづらさ、閉塞感みたいなものは、こういう「わかんないけどまあいっか〜☆」みたいなものを頭の中にとっ散らかして落とし前をつけずにいたことも原因のひとつだったのかもしれない。
あと、「○○ちゃんのお母さん」にはなってみて分かったけど、別に嫌じゃなかった。前は万人に自分のことをわかってほしい、認めてほしいと思っていたけど、そんなの無理だって分かったしめんどくせえ。もう、好きな誰かとちゃんと話したい話ができればそれでいい。ここら辺つきつめてったらこうやってインターネットにあーだこーだ書き散らしたりしなくなるのかな。わからないけど。(やっぱりとっちらかしてる)
ひとまずは、10年後の私が30歳のときは青かったわーって笑い飛ばせるように、考えがどう変わったか分かるように、ちゃんと日記をつけていきたい。