言ってみればほとんどの動機は『私を気にかけて』だless than a minute ago via twittbot.net Favorite Retweet Reply

ドキッとしたのでメモしておく。ここから展開する話自体は美しくないので閉じる。

聞く耳のないひと」が嫌いで、仕事以外ではなるべく関わらないようにしてるんだけど。嫌な理由をさらっと考えてみたら、まさに承認欲求のせいで、ああ自分気持ち悪いなあと思った。例えばですけど、

  1. ただ言いたいことを一方的にスピーチされてるとゲロを吐きかけられた気分になって単純に気分が悪い。また「聞き役は誰でも良かったのでは」と思うと、その話を聞いていた自分の時間が勿体なく感じる。「あなたに」聞いてほしかったとか、自分のコメントで「救われた」とかって言われたいわけ。気持ち悪い。
  2. 知識を更新する気がないヒト に興味を持てずこっちの耳も閉じる:ただこの場合、相手の認識において自分(私)の存在がすごいどうでもいいのかもしれない。自分がつまらない存在だなんて思いたくないのでキレることで自分のレベルの低さを見ない振りしてるのかも。
  3. あと、単純に自分が年齢を重ねるうちに「認めて!!!」って叫ぶだけのところから、「話を受け止める」楽しみを覚えたことも関係してるかもしれない。「フフ…あなたまだ自分のことばっかりなのね…」とかって…上から…

 
 
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私は非コミュなので、まともにコミュニケーションがとれるひとになりたいという気持ちが強くある。
他人のものの考え方と自分のそれの違いを比較するのも、自分が獲得し得なかった経験について聞くのも好きなので、その「好き」に任せて、興味のあるひとの話をたくさん聴いたり、教養に触れたり、考え事をしていればいいか、とひとまず結論した。ごちゃごちゃ考えて自家中毒しててもしょうがないしなー


 
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為末の言葉botにはよく頷かされる。

  • 批判は娯楽ですからね
  • 批判が癖の人は問題点を解決する事ではなくて見つける事を目的にしている。だから行動と提案が無い
  • 誰も答えは持ってないんです。あなた用の答えは
  • 人は無力を演じようとする。無力で入れば責任を問われない。守ってもらえる。本当は自分には力がある事に目覚めたくない。気づいてしまえば責任がのしかかる。自由を委ねる安心感の中を生きる

この辺の話を聞いて公的な発表を信じられず批判ばかりしてる誰かのことを思い浮かべて、
 


  • 自らで生きる意味を定められる人は少ない。人は人を支える事で生きる意味を与えてもらう。母が強くなるように。物質的に支えていながら精神的に支えられる。あげているようでもらっている
  • 自己満足に貪欲な人は必ず利他主義に行き着く。一人完結の幸福には限界がある。

この辺の言葉からはどうして自分がこんなに夫に喜んでほしかったのかって理由を見た気がした。幸せなきみの側に居るのがぼくの幸せ!なんて思っててごめんなさい
究極に「腑に落ちる」言葉は自分の中でしか生まれてくれないと思うし、そういう体験を重ねないと一生もやもやしたままな気もするので、自己満足を頑張りたいです!