四国初体験、の5日間のこと

ゴールデンウィーク日記を3ヶ月放置して、今更書きはじめるんですけど。
愛媛(松山・砥部)→高知(四万十川高知市)→香川(高松・直島)岡山(犬島)→香川(こんぴらさん) 先に言っておくけど、楽しかったです。
 
 

装備

  • CONTAX RTS3 + Planar 50/1.4
  • FUJIFILM NATURA BLACK F1.9
  • デジタル記録媒体の持ち合わせがないので買ったばかりのiPhone4カメラも大活躍

これらで撮った写真が入り乱れるので、色調とかすごい見づらいと思うんですが許してください(これ、最初から言い訳ってひどい話だね!)。

  

1日目 札幌から愛媛。鯛めしと道後温泉に興奮

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朝7時半発、新千歳空港の便に乗り、羽田乗換えのち11:20松山空港着。遠い…
レンタカー屋のワゴンの中で「そういえば松山空港にはオレンジジュースの出る蛇口があるという都市伝説が…!確認しそびれたね」という会話と、窓から自分の住む市の木であるライラックが見えたのになぜか興奮して写真を撮ったりした。


 
レンタカー借りる→『五志喜』さんにて鯛めし(写真右)やじゃこ天などを頂く。メニュー見てびっくりしたんだけど、みかん寿司って。まったくわけがわからないよ!さすがみかん県!水道の供給が止まったらみかん汁でご飯を炊けばいいじゃない!ってやかましいわ!とか脳内ですごくつまらない漫才を繰り広げてしまいました。この土地に縁のある方には心からのお詫びを申し上げたく。
 


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空腹を満たしたところで、天気もよいし松山城へ行くことに。公園の石段をのぼる。


 
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北海道はこの頃ようやく春めいてきたところで、すでに花ざかり!という風景にただただ興奮。

 

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松山城内部へ。階段が急。天守閣(だっただろうか)の梁や、覗き窓にそそられる。


 
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甲冑無料体験を楽しむ夫。この後、とんだりはねたりして「意外と動き易いな」と。
 

 
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今年初めての桜。この土地では「もうほとんど散っちゃって、最後のだよ」と言われた。



 
下山。リフトは楽し。
 

 
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夫がついったーのTLで勧められたとかで、饅頭を買い求める。素朴な味で美味しい!何個も食べたかった!
しかし「ろうけんまんとう」って絶対読めないな。
 

 
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そして、いざいざ道後温泉街へ!



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日本書記にも記載があり、夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも登場したという道後温泉。ホームページにもあるように様々な入浴方法やサービスがあったのですが、個室や2階席へ入りたいひとは行列ができており、私たちは「神の湯」という温泉だけさっと利用するチケットで入場。それでも中の洗い場は行列ができていた。GWだし、とわりきって柔らかい湯を楽しむ。
浴場内部に『温泉は飲まれません』と張り紙がしてあって、『飲めません』じゃないんだ!と言葉の違う土地に来たことを実感するなど。

 

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道後温泉本館の横で地ビールを引っ掛けようと思ったら「売り切れです」って。仕方無いので温泉街を冷やかす。ぬれおかきを食べたり砥部焼のお店を冷やかしてテンション上げたり。で、たまたまファミマの駐車場にきたらすごくつっこみたくなったので写真をとりました。「お静かに」って言うけどその裏の看板、すげーうるさいな。
(これを見るまで道後は風俗街って知らなかった)

 

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帰り道は坊ちゃん電車に乗って。ぎぃぎぃ言いながらも現役で走っていてかっこよかった。



 
そして腹拵え。ホテルの割と近くの歓楽街で今治焼き鳥が食べたい、という希望はあれども、店をどうやって探せばよいか分からない。ホットペッパーだとふつうの飲み屋情報ばかりだし、かと言ってケータイで探せる情報もそんなに多くないし…と四苦八苦するも、夫がまちBBSか何かのページからお店情報をゲットし、飛び込む。
そして、そのお店めちゃめちゃ美味しかった!夫えらい!
大将に「北海道から来たの?あれやろ、トカレフ!」とかっていじられながら時間を過ごす。北海道はロシアじゃねんだぞ。
 


 
 
そして道後ビールのみたいが為に二次会を。鯛の昆布〆、かつお、はじめての手長ダコ(水っぽくて不思議な食感だった)


 

2日め 砥部焼めぐり→四万十川高知市


東急インのシーリーのベッドで安眠のち起床。ホテルの外の道路がうねうね〜〜〜

お昼までは隣町砥部町にて砥部焼めぐり。厚手で丈夫という頼もしい食器、が欲しかったのです。ただ、勝手も分からないので、まずはこちらトップページ | 砥部焼観光センター炎の里にお邪魔して、頂いた地図をもとに気になる窯をめぐることに。3時間程しかなかったのでそんなに多くは見られなかったけれど、あれも欲しいこれも欲しいってやってるの、すごく楽しかった。
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砥部で一番大きな「梅山窯」さん。結局、私たちは相談の上でそば猪口5つ、角皿2つ、小さな皿2つ、コーヒーマグ2つと大きなどんぶり2つを手にして去ったのでした。資金と食器棚のスペースに余裕があればもっともっと買いたかった!

 

「古き良き日本のふるさとってかんじだねー」とか何とか言ってたら『どいなか』って書いてあるバス停の横を通過した。笑うよこんなの… 

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そして一路、高知へ。夫のたっての希望で四万十川沿いの国道をゆく。441号線。wiki酷道と書かれていたくらい狭い。確かに国の力でないと川沿いに道は拓けなかったのかもしれないけど、助手席にいて胃が痛くなるような道を国道と言われると、ちょっと。ただでさえ道路が広い北海道に住んでいると…とかdisりをうだうだと続けそうになるくらいつらい道でした。走行の雰囲気は以下のようなかんじです。

 

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だけど、その道の先にあったのは素晴らしい川だった。
私が「日本最後の清流」と口に出したら、夫は「もっときれいな川はいくらでもある」と言っていたけれど。

 

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で、もう少し車を走らせて沈下橋をいくつか見た。

沈下橋は、低水路・低水敷と呼ばれる普段水が流れているところだけに架橋され、また床板も河川敷・高水敷の土地と同じ程度の高さとなっていて、低水位の状態では橋として使えるものの増水時には水面下に沈んでしまう橋のことをいう。なお、沈下橋ではない通常の橋は、「沈下橋」の対語としては「永久橋」「抜水橋」などと呼ばれ、橋の床板は、増水時などの高水位状態になっても沈まない高さに設けられており、増水時にも橋として使うことができるようになっている。

沈下橋は、低い位置に架橋されることや、架橋長が短くできることから、低廉な費用で作ることができるというメリットを持つ反面、増水時には橋として機能しなくなるという欠点を持つ。

沈下橋の特徴として、橋の上に欄干がないか、あってもかなり低いもの・増水時に取り外し可能な簡易的なものしか付いていないことがあげられる。これは、増水時の橋が水面下に没した際に流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水がせき止められ洪水になることを防ぐためである。また、壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もあり、実際に流されることを前提としている例もあり、これらは「流れ橋」などと呼ぶ場合がある。増水時に流木などが橋脚・橋桁を直撃して損害を与えることを防ぐために、上流側に斜めに傾けた丸太・鉄骨などの流木避けが設置されているケースもある。

その構造から建設費が安く抑えられるため山間部や過疎地などの比較的交通量の少ない地域で生活道路として多く作られた。しかし現在では山間部でも広い道路や本格的な橋が造られること、また慣れているはずの地元住民といえども転落事故が絶えないことから、徐々に姿を消しつつある。

 


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沈下橋のうちのひとつに行ったとき、夫が「ひとつお願いがあるんだ」と。
夫「ここはおれの聖地で、やらなければならないことがある」
私「それってもしかして」
夫「飛び込むから、川岸から写真を撮って!」
(ひと悶着)
夫「じゃあよろしくね!」

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四万十では真夏になると子ども(とか)が川に飛び込むんだそうです。それで、当時まだ5月だったけど「暖かくはないけど飛び込めない水温じゃない」と判断した夫はバシャーンといったのだと。飛び込み後の夫は「おれはこの為に四国に来たんだ。満足」と、良い顔をしていて、こっちまで嬉しくなった。
幸運だったのは、いざ飛び込まんとした時に運良く地元ガイドのお兄さんが現れて、ライフジャケットを貸してくださったり、飛び込むポイントを教えてくださったりしたこと。お兄さんは「普通この時期に飛び込まない。寒いし。というか僕はいやだ」「ツアーのお客さんにもいいもの見せて頂いて」と言いながら笑っていた。やー、心の底からありがたかった。年間何人とか飛び込みで死者が出てるとかいう中でのダイブ、正直見ていてはらはらしました。いつかまたこの地に来たら、ツアーを利用させて頂くぞー。



ひとまず今回はこの辺で一旦締めます。次回、高知のカツオまじハンパなく美味しいです^q^ 他。
おやすみなさい!